きょうのコラム『時鐘』

2020/08/14 00:19

 「旧盆(きゅうぼん)」と「終戦の日(しゅうせんひ)」が重(かさ)なる。戦後(せんご)75年(ねん)、多(おお)くの人(ひと)がその意味(いみ)を考(かんが)え、何(なに)をすべきかを論(ろん)じてきた

先祖(せんぞ)を思(おも)う日か。戦争(せんそう)に命(いのち)を捧(ささ)げた犠牲者(ぎせいしゃ)を悼(いた)む日なのか。年齢(ねんれい)に応(おう)じて、あるいは時(とき)の政治情勢(せいじじょうせい)に合(あ)わせて考(かんが)えてきた。しかし「お盆」と「終戦の日」は分(わ)けられるものでなく、分ける必要(ひつよう)もないことだけはわかった

戦地(せんち)で倒(たお)れた兵士(へいし)、空襲(くうしゅう)の焼け跡(やあと)に立(た)ちすくんでいた人たちに、お盆の感覚(かんかく)はどれほどあったのだろう。当時(とうじ)は目の前(めまえ)にある「死(し)」を考えるしかなかったと言(い)う戦争体験者(たいけんしゃ)がいた。祖母(そぼ)に聞(き)いたことがある。あの夏(なつ)の墓参(ぼさん)はどうしたのか?。「よく思い出(おもだ)せない」というのだった

一人(ひとり)の命(いのち)は「点(てん)」でしかない。それが繋(つな)がって「線(せん)」になる。先祖から受け継(うつ)いだ「いのち」の糸(いと)が自分(じぶん)の所(ところ)で断ち切(たき)られる苦悩(くのう)はどれほどだったのか。今(いま)、お年寄(としよ)りが幼子(おさなご)と手(て)をつないで歩(ある)くのどかな光景(こうけい)がある。そこに未来(みらい)を見る。希望(きぼう)の二文字(ふたもじ)が浮(う)かぶ

だが、平和(へいわ)の糸は弱(よわ)くて細(ほそ)い。間(あいだ)に立(た)って両者(りょうしゃ)をつなぐ戦後世代(せんごせだい)・自分(じぶん)たちの責任(せきにん)を感(かん)じる。それが「お盆」であり「終戦の日」なのだと思う。