きょうのコラム『時鐘』

2018/12/11 00:49

 秋篠宮(あきしののみや)さまが学生(がくせい)のころ能登(のと)を訪(おとず)れたことがある。1985(昭和(しょうわ)60)年(ねん)の夏(なつ)、まだ礼宮(あやのみや)とよばれていた

すらっとした若者(わかもの)で空色(そらいろ)のスーツが似合(にあ)った。歓迎(かんげい)の人垣(ひとがき)にいた女児(じょじ)が「わーきれい。女(おんな)の人(ひと)みたい」と声(こえ)をあげた。ぶしつけな表現(ひょうげん)だが、子(こ)どもの正直(しょうじき)な思(おも)いだったのだろう。宮(みや)さまにも聞(き)こえたのではないかと思(おも)う至近(しきん)距離(きょり)だった

数年後(すうねんご)の婚約(こんやく)時(じ)、宮さまはひげを伸(の)ばしていた。渋(しぶ)い大人(おとな)の雰囲気(ふんいき)が漂(ただよ)った。ナマズの研究(けんきゅう)で「ひげの殿下(でんか)」と呼(よ)ばれたこともある。今回(こんかい)の大嘗祭(だいじょうさい)に対(たい)する発言(はつげん)を聞いて、型(かた)にはまらない次男坊(じなんぼう)殿下の若き日(ひ)を思い出(だ)したのである

発言には建前論(たてまえろん)で批判(ひはん)する論調(ろんちょう)と、当(あ)たり前(まえ)のことだと評価(ひょうか)する声(こえ)があった。波風(なみかぜ)が立(た)つのを覚悟(かくご)しながら問題提起(もんだいていき)をし、慣習(かんしゅう)を徐々(じょじょ)に見直(みなお)して新(あたら)しい皇室像(こうしつぞう)を築(きず)く。天皇家(てんのうけ)の声を代表(だいひょう)しているとの見方(みかた)もある。国民(こくみん)も儀式(ぎしき)の源(みなもと)を考(かんが)える機会(きかい)にしたい

天皇ご夫妻(ふさい)が戦地慰霊(せんちいれい)と被災地慰問(ひさいちいもん)の旅(たび)を始(はじ)めたころは異論(いろん)もあったが、回(かい)を重(かさ)ねて当たり前のことになった。ご両親(りょうしん)の生(い)き方(かた)が秋篠宮さまの信念(しんねん)に結(むす)びついているように思う。