大規模な伽藍(がらん)構成に向けた造営の年が明らかになった高岡市の瑞龍寺

国宝・瑞龍寺の造営 通説の8年後 古文書に1653年の記述

2019/07/27 01:34

 全国有数の大規模な伽(が)藍(らん)(建物)構成に向け、国宝瑞龍寺(高岡市)の造営が始まったのは、通説よりも8年後の1653(承応2)年だったことが分かった。前身の瑞龍院に隣接した寺院を立ち退かせ、この年に土木工事に着手したことが古文書から判明した。富山市郷土博物館の萩原大輔学芸員の研究成果で、27日に高岡市立博物館で開かれる「高岡開町410年記念前田利長書状展」の特別講演会で報告される。

 

 瑞龍寺は高岡開町の祖で加賀藩2代藩主前田利長の菩提(ぼだい)寺。利長の位牌(いはい)がまつられたことを受け、利長の院号から瑞龍院と呼ばれるようになった。

 

 瑞龍院から瑞龍寺へ名称が変わるのは、大規模な伽藍整備が行われる「再興」が契機とされ、瑞龍寺の変遷を知る上で重要な要素という。再興の時期は、これまで後世の編さん物の記述から1645(正保2)年とされていた。

 

 1685年に書かれた古文書「貞享二年寺社由緒書上」(石川県立図書館所蔵)を萩原学芸員が調査した。1653(承応2)年に瑞龍院に隣接していたとみられる天景寺、竜雲寺、広乾寺、宗円寺を立ち退かせ、土地を召し上げた上で増築用地として普請(土木工事)に着手したことが分かった。

 

 再興がおおむね完成するのは、工事開始から10年後の利長50回忌を迎えた1663(寛文3)年。国宝建造物の法堂、仏殿、山門が寺院中心の一直線に並び、重要文化財の禅堂や大茶堂が左右対称に配置されて回廊でつながる禅宗寺院が出来上がった。

 

 伽藍整備は、利長の養子で3代藩主利常が主導して始め、完成時は利常の遺志を受けた5代藩主綱紀が指揮を執っていた。

 

 萩原学芸員は「瑞龍寺の大規模造営は前田家挙げての一大プロジェクトだった。現在の国宝が形成される変遷を知る研究成果といえる」と話した。